前にも書いたけれど、良い悪い、正しい正しくない、はラベルに過ぎない。
自分が自分や誰かのつくったパターンのなかでの、ちいさなジャッジにほかならない。
美しい、うれしい、わくわく、優しさ、誠実さ、善意、などが良いわけではなく。
醜い、嫉妬、憎しみ、悲しさ、恐怖、悪意、殺意、などが悪いわけではなく。
どれも宇宙の作ったすばらしいギフトであり、アートなんだ。
価値は等しく序列など無いのだ。
しいていうのであれば、わたしは本物がいい。
偽らないありのままがいい。
偽った善意や美しさよりも、本物の悪意や醜さのほうがずっと信頼できる。
偽らない嫉妬や恐怖の美しさだってあると思う。
ネガティブ押し込めて好い人たらんとするのもいいけど、
いじわるでゲスい自分やせこくてちゃちな自分を偽りなく表現するのもいい。
どちらも人間らしい。
浄化、浄化。。。
光、愛、喜び、と偏った側面しか見ようとしないことは、真に統合された世界とは程遠い。
そういう偏ったスピリチュアルのいかに多いことか。
最近、多くのスピに携わる人たちや、本屋の精神世界や自己啓発コーナーの棚の前で感じる違和感はそういうところにある。
薄ら寒いのだ。
いわゆるネガティブとされているものたちを徹底的に目を背けて、なかったことにしようという姿勢。
そこに漂う絶対的な分離感や高次のエゴ。
愛だ光だといいながら、とてもエゴイスティックな何かがきもちわるいのだ。
もちろんそのエゴに気づいているひとは少ないはず。
なにしろ目の敵にされてますからね、かわいそうなエゴちゃんは。
エゴちゃんは“私”が心配で心配で、守ろうとして必死なんですよ。
この人間世界を生きる私の乗り物であり、着ぐるみ。
未熟でビビンチョで、ういやつではないですか(笑)いとしくてたまんないですよ。
と・は・い・え。。。
その薄ら寒さもまたグレートな創造物なのですな(笑)
ああ、キリがない、だからこの世のゲームはおもしろい、のかも。
ちひちゃん!!!
返信削除震えたわー!!!
本物でいたい、がいつも中心にあって、それを思うと光だ!光だ!の一側面だけを必死で見ようとする類いはどうなのだろうか、、?と私の中でも大きなクエッションマークがありました☆
いやー、もう全部すごい創造物なのだと。
愛も狂気も、喜びも嫉妬も、ぜんぶそれでグレートだ!っていうのに、もう心が最大級に震え中!
新しい世界がまた顔をもたげている!!!ありがとう〜!!
ちはるちゃんのコメントにわたしも震えた!!!
削除ほんとわたしたちって、宇宙って、すごいんだねぇ。
なんでも作ってしまう。
いろんな人たちの言葉や話を聞いたり、自分と向き合うなかで、
そんなグレートな真実を確信してしもた!
クライアントさんと向き合いながら、
真剣な問い掛けにカードをめくりながら、
それぞれの創造に拍手喝采したくなるわたしもいるよ。
みんなどんな状況であれ、それぞれに完璧な創造のプロセスにあるんだなって。
そして自分自身の試練にも、それを思い出して祝福してるのだっ